子供の頃なにがイヤって、宿題がイヤでした。
本来学校の宿題とは、子供に学力および学習の習慣をつけさせんがために、教師が子供によかれと思って適当な難易度や分量を考えて与えてやる課題です。
ところが幼い子供にそんな狙いはわからない。
宿題なんか、なくなればいいのにと思う。
放っておけば低きに流れる幼い子供達には、やはり宿題というかたちでないにしろ大人の手の差し伸べが必要なのです。
しかし目標に向かって、必要な知識を得ようと努力する自立した人格に、もはや与えられた宿題はいらない。
明確に目標のある人というのは、わざわざ指導者が課題を与えなくとも、勝手に目標達成に向かって動き始めるものです。
格闘技をやってる人で、道場の練習しかやらない人は、この業界の中でいえば、いわば小学生レベル。
練習がない日は一切カラダを動かさないということは、要するに、先生が、『今日は宿題ナシです』という言葉を聞いて、『よっしゃああ!』と叫びながら大喜びで遊びに出かけるガキンチョと同じです。
もし、大学受験を目前に控えた高校3年生に、『今日は宿題ナシです』と、全く同じ言葉をかけたら、彼らはどうするでしょうか。
大学入試直前に、学校の宿題がないからという理由で、家で一切の勉強をしないような子は、まずいない。
学校から宿題が出ようと出まいと、彼らは家に帰ってからいま自分がやらねばならない勉強をするでしょう。
なぜなら、彼らの眼前にはクリアすべき大目標があるから。
むしろ彼らは、宿題という勉強をしなくてよい分、自分のやりたい勉強ができることを喜ぶはずです。
ファイターの皆様、あなたの目標は何ですか?
あなたの目標が、もし、競技者としてリングに立つことなら、誰かと戦い勝利することなら、休日をどう過ごすかくらい自分で考えて実行してください。
新人戦に初出場するくらいの選手には、指導者はもちろん休日用の課題を与えることもあります。
彼らは、まだ練習方法が確立できていないから宿題が必要なのです。
しかし、全日本に出場する選手が、上から指示が出るのを待って動いてるようでは話になりません。
全日本と呼ばれる大会にさえ低い意識の選手が混じっているから、実戦空手なんていくらカッコつけても所詮アマチュアのスポーツと揶揄されるのです。
わたくしはアマチュアスポーツの競技レベルが劣るとはこれっぽっちも思ってません。
わたくしは、実戦空手の黒帯は他のプロスポーツ選手に全く引けをとらないものだと思っていますし、わたくし自身も、常にプロフェッショナルのアスリートでありたいと自覚を持って空手をやってきました。
一般に、プロとは競技に収益が伴うもの、アマとは収益が出ないものを指します。
しかしプロという呼称は、専門家であり、玄人という意味でもあります。
もしプロに較べてアマチュアスポーツが劣るとするなら、それは競技そのものではなく、競技者の意識だけなのです。
競技者がプロとしての意識を持っていれば、決して劣ることなどない。
あなたがプロフェッショナルのアスリートならば、その名にふさわしい行動があるはず。
プロは誰かに与えられた宿題なんてやらない。
誰かにやれと言われたメニューをこなしているうちは、プロとは言えない。
プロとは、自分の目標達成に必要なことを、自分で探し出して、それをただただやりこむのみです。
杉原館長は、総本部所属の全日本ランカーに対して、あの練習やれ、この練習やれなんかほとんど言ってません。
なぜなら、総本部の選手は、今思えばみんなプロだったんです。
誰かにケツを叩かれてイヤイヤ動き始めるような選手など存在しませんでした。
わたくしの在籍当時の総本部では、誰もが能動的に動いていました。
何かやれと言う余地などなかったのです。
師匠に、あれやれこれやれと言われている人は、まだ子供です。
失礼ながら、あなたがいまだに師匠から日々やることをうるさく言われているなら、きっとあなたは課題を出されないと何もしない奴だと思われているからなのでしょう。
わたくしは、別に、技術的な指導を否定しているわけではありません。
指導者ですからその分野の専門授業をするのは当然です。
ここで言いたいのは、稽古のない日にサボらないように宿題を出されているような選手はまだまだ素人だということ。