プロ野球に関して、子供の頃はわからなかったけれども、空手を一生懸命やってみて初めてわかったことがあります。
それは、個人タイトルのなかで、最多勝投手と打点王がいかにすごいかということです。
わたくしは子供の頃から、スポーツ全般が苦手だったくせに、プロ野球を観るのは好きで、ご存知のようにドラゴンズのファンでした。
わたくし自身は剣道をやっていましたが、もっともっと上達したい、というような積極的な気持ちはなく、ただ在籍していただけという感じです。
要するに、真剣に『勝負』をしたことのない子供でした。
中学生当時、ロッテから落合選手がトレードで中日に移籍し、バースとの三冠王対決だとかなんとかと騒がれていました。
過去の個人成績を比較してみると、打率・本塁打でバースがリード、打点だけ落合でした。
子供の頃のわたくしは単純に、バースの方がすごいやん、と思いました。
なぜかというと、バースが2つのジャンルでリードしているからではなく、わたくしは打点というものの価値を低く考えていたからです。
ヒットを打つ確率が高いのと、たくさんのホームランを打つというのは、完全に自分の実力です。
しかし打点は、たまたま自分がヒットを打つ時にどれだけランナーがいるかに左右されるため、純粋に実力とは言えないと思いました。
打点王になるには、自分の打順や1・2番打者の出塁率などの外的な好環境が必要です。
最多勝もそうです。
最優秀防御率の投手ですら、在籍チームの打線が悪ければ勝ち星に恵まれないのです。
さらに、その試合で投げ合う相手ピッチャーが誰なのかにも影響されます。
たとえ9回を1点に押さえる素晴らしいピッチングをしても、相手投手が完封してしまえば負け投手。
要するに、かなり防御率の悪いピッチャーでも最多勝投手になることがあるため、シーズンのトータルで最も優秀な防御率を残した投手こそ真の実力者だと。
自分以外の要素に影響される打点王と最多勝の2つのタイトルは、首位打者や防御率よりも値打ちのないものだと認識していました。
ひと昔前、巨人の四番は原辰徳で、五番は吉村禎章でした。
数字の上では原の方が活躍してます。
吉村は怪我をして選手として活躍できたシーズンは少なかったのですが、中日ファンのわたくしからすれば、強烈に痛い目に遭わされた印象があります。
歴代の巨人の四番の宿命かもしれませんが、原はマスコミから当時、チャンスに弱く、どうでもいいときに良く打つ、といつもボロカスに叩かれていました。
でも個人成績はかなり良いんです。
真剣にスポーツをやった経験のない中学生当時のわたくしは、原が叩かれる意味が全然わかりません。
この打席は凡退してもいいや、と思いながらバッターボックスに立つ野球選手なんて絶対にいませんよね。
誰だって全ての打席で、良い結果を出したい!と思いながら、投手と対戦しているのです。
ということは、原はたまたま得点圏でのヒットが少なかっただけで、それをとやかく言うのは間違いだと思うのが自然です。
大学に入り、生まれて初めて真剣に空手をやりました。
毎日毎日どうやったら勝てるのかを考えて過ごしていました。
成績が良い時もあり。
はたまた悪い時もあり。
だいぶ悩みました。
そうやって、勝負の世界で長いことやってきて、ある時、ふと最多勝と打点王の凄さが理解できるようになりました。
というより、野球においては勝ち投手と打点を叩き出した打者こそが、最も評価されるべき存在なのだと思うようになりました。
やはり、落としちゃいけない試合がある。
打たなきゃならない打席がある。
毎回真剣勝負なのは当たり前。
しかし、毎回の真剣勝負の中に、さらにさらに真剣に勝負しなければならない、それこそ『勝負時』があるのです。
落としちゃいけない試合を絶対押さえて勝つ投手。
打たなきゃならない打席で絶対に打つ打者。
防御率が悪い?
打率が低い?
関係ありません。
押さえるべき試合を押さえ、打つべき時に打つ選手が一番すごいんです。
本当に勝負に必要な条件は、時に従って力を出せること。
中学生のわたくしは、選手の残した数字だけを比較するだけで、全てを評価していました。
練習のスパーリングで強い?
予選を1位で通過?
模擬試験でA判定?
すべて!
本番で負けたら意味をなさない。
本番の結果こそが実力なんです。
共通して言えるのは集中力でしょう。
平素の、勝負に対する気持ちをかき集めて、来たるべきその時に一気に爆発させることです。